〜神楽2679〜

すめらぎいやさか

カミングアウト

人生について書こうと思う。

 
「ブログ始めたばっかでそれってどーよ!」と思うところはあるので、ひょっとしたら消すかもしれない。でもできるだけフラットに書きたい。今の自分の想いを飾らずに。書きたい、と思った時が書き時だと思って、コッソリ書きます。
できるだけ不幸自慢にならないように書いたつもりだけれど、所々弱弱しい心の声が混じってるかもしれない。でもきっとこれが今書ける自分の「ありのまま」
 
人間の人生って色々な出来事を「点」とするなら、それがいくつもつながって、気づくと「線」になって、「今」があって、「これから」に向かっていこうとする。
 
今日は僕の「点」と「線」をかいつまんで話していきたい。
 
 
今僕が目指してる場所。
 
「大学院」といわれる研究機関。
多くの人は進まない進路。
 
そこで心理学を勉強したいと思っている。正確には心理学を2年間勉強した後、「臨床心理士」という資格をとること。ザックリ世間的な言い方をすると「カウンセラー」という仕事、もっというと「スクールカウンセラー」という仕事がゴールであり、スタート。
 
これが僕の「今」と「これから」である。「点」と「点」を「線」にするべく格闘中。
 
 
問題はここから。ここまでの話は就活中の大学生が必死にひねり出した志望動機と一緒。いわゆる「建前」。
 
「本音」をさらけ出すのって難しいし、怖いよね、就活生さん。うん、言い訳。予防線。よし、本音の部分。
 
 
まず、今あるこの「線」をたぐり寄せた端っこ。「線」のはじまり。
 
僕は高校生の頃、周りが恋だ、部活だ、青春だ、で大忙しだった頃、『強迫性障害』と『うつ病』という2つの心の病気になった。もっと言うとそれは現在進行形。かれこれ10年以上だから、親友より長い付き合い。知ってる人は知ってるし、知らない人は知らないだろう。でもちょっとでも気になったら、調べてみてほしい。「こんな病気があるんだな」とか、「あれ、なんかちょっと分かるかも」って思ってくれたら、それだけで僕は嬉しい。
 
その病気がどんな病気かはともかく、その病気を発症してから、少しずつ僕は壊れていった。今思うと病気との付き合い方を知らなかったから、パニックになっていただけなのだけど、日常生活で昨日出来ていたことが、段々とできなくなっていった。学校にも行けなくなっていった。独りぼっちの完成。
 
そこからの毎日は「もがいていた」という形容が正しいかもしれない。詳述したらR18指定は免れない血なまぐさい毎日。多分、あのままだったら、脱出の仕方がきっと分からずに、今に至っていたかもしれない。そう考えるとすごく怖い。
 
でも「運命」という言葉があるのなら、僕はその運命に救われた。正確には「ご縁」によって。今もお世話になってる「スクールカウンセラー」の先生に出会って、たくさんの話をした。病気との向き合い方、治ることは一生ないけれど、飼いならすことはできること、諦めていた「これから」を考えること。その時その人が提示してくれたことの上に今の僕がある。
 
そのおかげで、人より遅れたけれど大学に入って、人並みに恋をして、就職をして、「社会」という混沌の中に飛び込んでいった。
 
これがまず点を結んだ線の前半戦。
 
 
さて、後半戦。さらに重たい話。ふぅー、できるだけ感傷的にならずに、でもきっとセンチメンタルになるけれど、続きを書きましょう。ここまでお付き合いいただいてるあなたへ「ありがとう」
 
「社会人」になっても心の中にいつもあった想い。
 
「かつての自分と同じような苦しみの中にある人に自分ができること、自分だからこそできること」
 
綺麗事と言われたら何も言えない。青臭い?そうだね、きっとそう。実際、思ってても、日々の忙しさにあれよあれよと、擦り切れて、自分のことでいっぱいいっぱいな毎日。そして突然の
 
母の死。
 
いきなりだった。まだ親孝行もできてないのに、言葉にしていない気持ちがたくさんあったのに、そういう全部を伝えることができなくなってしまった。
 
届かなくなった「ありがとう」と「ごめんなさい」の分だけ、残された人間は涙を流すんだってその時初めて知った。
 
大人になったら、身内の死に存外ドライで、何もなかったかのように仕事に汗を流すもんだと思ってた。けど僕にはそれができなかった。
 
さらに悪いことに、一緒に涙を流して肩を寄せ合うはずの家族もほとんどみんな向こうに行ってしまっていたから、悲しみを共有できる人もいなかった。
 
 
つまりはまた独りぼっちになった。今度は正真正銘の孤独。
 
 
文字通り毎日泣いた。涙が枯れるって嘘だと思った。泣いても泣いても涙が出た。1年くらいはずっとそんな調子だった。うん、結構最近までの話。
 
今でもふいに泣けてくる。でも決まってそこに現れる母はいつも優しくて、愛情に溢れた人だった。「愛されてたんだなぁ」なんて思ってまたウルっときたり。段々と優しい気持ちが心を満たすようになった。母からもらった愛、それだけじゃない、家族からもらった愛、たくさんの人からもらった愛、その上に自分はいて、これからの自分がいる。
 
「返したい」
 
って思った。たくさんの人に愛された自分はそのたくさんの人に、もっと大きくいうなら、「社会」に何も返せてないって思うようになった。
 
綺麗事?そうかもしれない。でも、その綺麗事を実践しようと身を削ってくれる人がいてくれたから、今の僕はいる。だから、そんな奴がいてもいいはずだ。それに、綺麗事って言う人は気付いてるはずだ。そうあるべきなのに、そうなれない自分がいることに。
 
やってやりましょう!だって心がそう叫ぶんだもの!
 
決意表明。
 
実態を言うなら弱気な自分への喝。頬を両手でバシバシ叩いて、よし!っていうアレ。
 
悲しみの中を生き抜いた人にしか見えない希望の光を信じて。明日も一歩を踏み出そう。たとえ後ろ指をさされたとしても。
 
最後にいつも勇気をもらっているSUPER BEAVERから一曲。
 
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。